導入事例

「あきらめなくていい社会を」──感覚過敏当事者として、研究者として。加藤路瑛さんが目指す“やさしい空間”のこれから
「まぶしい光がつらい」「衣服の縫い目が痛い」──そんな“感覚の過敏さ”を、まだ社会が十分に理解していなかった時代に、中学生でその当事者として声を上げ、行動を起こしたひとがいます。
感覚過敏研究所の所長であり、株式会社クリスタルロード代表取締役の加藤路瑛さん。2020年に研究所を立ち上げて以来、「感覚にやさしい社会づくり」を目指し、啓発・商品開発・研究の3つの軸で取り組みを広げてきました。
2025年の大阪・関西万博では、株式会社Yogiboが提供したカームダウンルーム「一坪のハグ」の検討委員として、感覚過敏当事者の立場から率直なご意見と、これまでの活動で培った知見をご共有いただき、対話を深めながらコンセプト立案に貢献してくださいました。
本記事では、加藤さんが感じてきた課題や、「一坪のハグ」での経験を通じて見えてきた可能性、そしてこれからの展望について、検討委員のファシリテーターでもあるNPO法人チュラキューブ代表の中川さんとの対話を通してご紹介します。
検討委員:加藤路瑛(感覚過敏研究所/株式会社クリスタルロード 代表取締役)
聞き手:中川(NPO法人チュラキューブ 代表理事/大阪国際工科専門職大学 工科学部 准教授)
12歳で立ち上げた感覚過敏研究所と起業のきっかけ
加藤さんは株式会社クリスタルロードの代表であり、感覚過敏研究所の所長としても活動されていらっしゃいますが、まずは、その活動の原点や、感覚過敏研究所を立ち上げられた経緯についてお聞かせいただけますでしょうか。
感覚過敏があると、誰もがあたりまえにできるような、学校に行くこと、仕事をすること、食事をすること、レジャーを楽しむことが簡単にはできません。日常生活がつらいだけでなく、人生の楽しみや豊かさにも影響があります。
私自身、小さい頃から感覚過敏の過敏さがありましたが、私も親も「感覚過敏」という言葉すら知らず、生きづらさの理由を知らずに生きてきました。中学1年生の時に、保健室の先生から「感覚過敏なのでは?」と教えていただき、自分の困りごとや悩みに名前がついて、安心した記憶があります。
感覚過敏を知ったからといって、それを解決する事業を立ち上げようとは思いませんでしたが、ある日気がついてしまったのです。「私は、感覚過敏を理由にやりたいことをあきらめている」と。
友達とカラオケやテーマパークに行くこと、映画館やライブに行くこと。「どうせ疲れてしまうから」と行くことを避けていました。旅先でその土地の名物を見かけても「どうせ食べられない」と思ってしまいますし、かっこいい服を見ても「どうせ痛くて着られない」と思ってしまいます。
感覚過敏を理由にあきらめてばかりの現状を終わりにしたい!そう思って、感覚過敏の課題解決を目指し、立ち上げたのが「感覚過敏研究所」です。
感覚過敏研究所の主な活動と目指す社会とは
感覚過敏研究所では、具体的にどのような活動をされているのでしょうか?また、どのような社会を目指していらっしゃいますか?
感覚過敏研究所は3つの軸で活動しています。1つ目は、感覚過敏を社会に広く知ってもらうための啓発活動です。大学や教育者向けに講演活動をしていますし、目に見えない感覚過敏のキャラクターをつくり、感覚過敏マークや缶バッジにして多くの人にご利用いただいています。2つ目は、感覚過敏の対策商品の企画や販売です。触覚が過敏で服が痛くで着られない人のために縫い目外側・タグなしをコンセプトにしたアパレルブランドも展開しています。最近力を入れているのが、センサリールームやカームダウン・クールダウンルームといった「五感にやさしい空間事業」の取り組みです。3つ目は感覚過敏の研究です。大学と一緒に感覚過敏に関する研究を進めています。
研究所の立ち上げが、2020年1月ということで、まさにコロナ禍の直前。スタートした活動には、影響があったのですか?
そうですね。研究所を立ち上げてすぐにコロナ社会になってしまいました。マスク着用は社会問題でした。感覚過敏でマスクがつけられずに困っている人の存在に気がつき、「感覚過敏でマスクがつけられません」という意思表示カードを無料公開したり、飛沫対策になる「せんすマスク」を販売したことがメディアで大きく取り上げられ、結果、「感覚過敏」という言葉を多くの人に知っていただける機会にもなりました。感覚過敏研究所の取り組みは、コロナ社会によって拡大していきました。
カームダウン・クールダウンとの出会い

「一坪のハグ」検討委員会では、調光や壁材など多くの議論が交わされました
カームダウン・クールダウンルームやセンサリールームについては、どのように関わってこられたのでしょうか。また、現状の普及や理解について、どのようにお考えですか?
私が初めてカームダウン・クールダウンスペース(ルーム)を知ったのは2020年のことです。成田空港が、感覚過敏研究所の「せんすマスク」を導入してくださることになった際、担当者の方から「せっかくなので、空港内にあるカームダウン・クールダウンスペースも見て意見をもらえませんか」と声をかけていただき、見学したのが最初の出会いでした。
それから数年が経ちましたが、カームダウン・クールダウンスペースの一般的な認知度はまだ高いとは言えず、運用面でもさまざまな課題を感じています。たとえば、スペース内で飲食して休憩する人がいたり、ゴミが放置されていたり、「自分が使ってもいいのか」と迷う人もいます。
こうした状況を見ていると、カームダウン・クールダウンスペースは設備の有無だけではなく、どう運用されるか・・・つまりハード以上にソフトの部分が大切なのだと強く感じます。
設置するだけでなく、その後の運用が大切ということですね。
静かな環境や眩しくないといった条件も大切ですが、それだけではうまく機能しないこともあります。たとえば、学校現場で、ある先生が落ち着ける場所を用意してくれても、その意図が他の先生に十分伝わっていないと、うまく活用されなかったり、生徒が利用しづらくなってしまう可能性があります。空間があるだけではなく、そこに込められた思いや意味が、周囲に共有されているかどうかが大切なのだと思います。
大阪・関西万博のカームダウン・クールダウンルームへの期待と課題

「一坪のハグ」視察中の加藤さん。
大阪・関西万博でのカームダウン・クールダウンルーム設置について、期待することや、逆に課題だと感じていることはありますか?
大阪・関西万博でカームダウン・クールダウンルームが設置されたこと自体に、大きな意味があると感じています。感覚の過敏さは人によって異なるため、カームダウン・クールダウンルームは画一的な「マニュアル」を作るのが難しい面があります。それでも、ユニバーサルデザイン検討会の皆さんがその必要性を訴え、ガイドラインにカームダウン・クールダウンルームの基準が盛り込まれたことは、日本社会に広がるための大きな転機になると思っています。
実際に、海外の研究者からも大阪万博のカームダウン・クールダウンルームに関する調査の相談が寄せられています。東京オリンピックをきっかけに広がり始めたカームダウン・クールダウンルームが、万博を通じてさらに普及していけば嬉しいです。
こうした広がりはとても心強い一方で、課題も感じています。というのも、カームダウン・クールダウンルームは「ただ置けばよい」というものではなく、誰の、どんな困りごとを解決するために設置するのかという意図が共有されていなければ、形だけの空間になってしまうこともあるからです。
今回の万博での進め方、特に6回にわたるディスカッションについては、どのように感じられましたか?
チームのみなさんと課題を共有しながら、理想のカームダウン・クールダウンルームをかたちにしていく、とても充実した時間でした。議論の中では、それぞれの専門性や視点がしっかりと活かされていて、私自身も多くの学びがありました。2025年の現時点において、存在するカームダウン・クールダウンルームの中でも最高水準のルームが完成したのではないかと感じています。
加藤さんが思い描く未来とは
検討委員会では、カームダウン・クールダウンルームの研究やガイドライン作りについてもお話くださいましたが、感覚過敏研究所として、また加藤さん個人として、今後どのようなことに力を入れていきたいとお考えですか?
私は今、大学2年生で、大学では人間科学部に所属しながら、脳神経学や障害学、心理学など、感覚過敏の課題解決につながるさまざまな分野を学んでいます。将来的には、個人の研究者としても、感覚過敏研究所としても、感覚過敏の緩和や快適な環境づくりに関する研究を進めていきたいと考えています。
カームダウン・クールダウンスペースについては、アドバイザーや他社商品の代理販売を中心に取り組んでいますが、今後は感覚過敏研究所として、オリジナルの感覚にやさしい空間を作りたいと思っています。
また現在、音や光などの刺激の強い場所や、静かな場所、カームダウン・クールダウンスペースの位置などを口コミ形式で共有できるウェブ版「センサリーマップ」の開発も進めています。このサービスを多くの方に活用してもらいながら、社会実装を目指します。
このような取り組みを通じて、感覚にやさしい場所やサービスが少しずつ広がっていくと信じています。
熱意ある担当者との出会いが、社会を変えていく
企業や社会全体と連携していく上で、大切にされていることや、伝えたいメッセージがあればお聞かせください。
企業や社会が、感覚過敏のある人のために商品やサービスをつくろうとしてくださること自体が、とてもありがたく、嬉しいことだと感じています。まだ十分に知られていない課題であるにもかかわらず、関心を持ち、声をかけてくださることに、いつも感謝の気持ちがあります。
連携の際には、正解がひとつではないテーマだからこそ、当事者や現場の声を丁寧に拾いながら、一緒に考え続けていく姿勢を大切にしています。
企業の担当者が実現したいと思っても、上司や会社から「儲かるのか?」「費用対効果はあるのか?」といった経済合理性の指標で判断されてしまうことは少なくありません。そうした中で、「目に見えにくい困りごとの解消」が、人の安心や信頼、企業としての社会的価値につながるのかを、一緒に考えていける関係性が大切だと思っています。
私が伝えたいのは、誰もが快適に過ごす権利を持っているということです。しかし、特性によってそれを享受しにくい方々がいるのも事実です。感覚過敏に限らず、人は皆、不完全で、得意なこともあれば苦手なこともある。だからこそ、そうした多様な人々が、お互いの違いを理解し、尊重し合える社会をつくっていきたい。誰もが必要な時に安心して過ごせる環境があたりまえにある社会を、私は目指しています。そのために、私たちは感覚の凹凸を理解し、さまざまな選択肢を社会の中に増やしていくお手伝いができればと考えています。
万博を終えた後は、どのような展開を思い描かれているのですか?
万博での取り組みを通じて、カームダウン・クールダウンやセンサリーマップへの関心が高まったことを実感しています。感覚過敏研究所としては、この機運を一過性のものにせず、社会に定着させていくための活動をさらに広げていきたいと考えています。
今後は、自治体や企業との連携をさらに広げ、駅や空港、商業施設、イベント会場などへのカームダウン・クールダウンスペースの導入を後押ししていきます。また、先ほどお話ししたウェブ版センサリーマップ「Calmspot」も正式にリリースし、音や光といった刺激が気になる方の外出をサポートできる実用的なツールとして、継続的に改善・展開していく予定です。
本日は貴重なお話をありがとうございました。大阪・関西万博でのカームダウン・クールダウンルーム、そして加藤さんの今後の活動を非常に楽しみにしています。